| 手稲山口メッツのあゆみ | |||||||||||||
| 年度 | あ ゆ み | 世の中の動き | |||||||||||
| 昭和53年 | 昭和53年7月1日、守田監督のもと部員数13名で結成される。 | ・ | 第一次大平内閣成立 | ||||||||||
| (1978) | ・ | 西武ライオンズ誕生 | |||||||||||
| 結成時は部員数も少ない中で練習の期間も少なく悪戦苦闘の連続であ | ・ | 広岡監督のヤクルトが初の日本 | |||||||||||
| 一になる | |||||||||||||
| った。しかし、選手達は一生懸命練習、試合に挑んだが残念ながら成 | ・ | 江川投手の「空白の一日」事件 | |||||||||||
| ・ | ピンクレディー人気絶頂 | ||||||||||||
| 績の方は思い通りにはならなかった。 | ・ | キャンディーズ解散 | |||||||||||
| しかしながらこの先輩達の汗と苦労で築いた山口メッツ創部者として | |||||||||||||
| の戦いは現メッツの基礎となった。 | |||||||||||||
| 昭和54年 | この年においても戦績の方はあまり期待できなかった。監督はじめ選 | ・ | 共通一次試験スタート | ||||||||||
| (1979) | ・ | 広島が初の日本一に | |||||||||||
| 手達も一生懸命練習に励み、また試合に挑んでいったが思うような内 | ・ | インベーダーゲーム流行 | |||||||||||
| ・ | ソニーが「ウォークマン」発売 | ||||||||||||
| 容にいたらなかった。 | |||||||||||||
| 部員達は来年度に向けて新たな闘志を燃やす。 | |||||||||||||
| 昭和55年 | 部員も少しずつ増えはじめ山口メッツの下地ができ練習等の成果が表 | ・ | 張本選手が3000本安打達成 | ||||||||||
| (1980) | ・ | 長嶋巨人軍監督辞任 | |||||||||||
| われてこの年の優勝を飾るとともに2回戦、3回戦と駒を進める。 | ・ | 王引退 | |||||||||||
| ・ | 大平首相急死 | ||||||||||||
| 互友会 | 優 勝 | ・ | 米国でレーガンが大統領に | ||||||||||
| ・ | 漫才ブーム | ||||||||||||
| 西区大会 | 2回戦進出 | ||||||||||||
| トヨペット杯 | 3 位 | ||||||||||||
| 昭和56年 | この年、速球派投手米沼(忠)を要し山口メッツの本領が発揮されはじ | ・ | 大関貴ノ花引退 | ||||||||||
| (1981) | ・ | チャールズ皇太子とダイアナが | |||||||||||
| め各大会において優秀な成績を収めた。 優勝こそできなかったもの | 結婚式 | ||||||||||||
| ・ | 「FOCUS」創刊 | ||||||||||||
| の読売大会、日刊新人戦等は充分優勝する力はあったものと思うが、 | ・ | 千代の富士横綱に昇進 | |||||||||||
| これも先輩諸兄が築いて来られた山口メッツの伝統として受継がれて | |||||||||||||
| いくであろう。 | |||||||||||||
| またこの年の活躍により札幌地区でも強豪の仲間入りを果たす。 | |||||||||||||
| 西区大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| 札幌選手権(西区) | 準優勝(西区代表決定) | ||||||||||||
| 札幌選手権西区代表出場 | |||||||||||||
| 日刊スポーツ春季大会 | 4回戦進出 | ||||||||||||
| 読売野球大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| トヨペット杯 | 準優勝 | ||||||||||||
| 互友会新人戦 | 準優勝 | ||||||||||||
| 札幌選抜新人西区大会 | 3位(57年春代表決定) | ||||||||||||
| 日刊スポーツ新人戦 | 準優勝 | ||||||||||||
| 昭和57年 | このシーズンは米沼(忠)のピッチングがさえ、バックスも健闘。西区 | ・ | 中曽根内閣誕生 | ||||||||||
| (1982) | ・ | 西武ライオンズ初の日本一に | |||||||||||
| はおろか札幌地区としても強豪のチームと成長した。 | ・ | 落合選手(ロッテ)3冠王達成 | |||||||||||
| この年報知新聞杯優勝し長嶋野球教室へ招待される。 | |||||||||||||
| 札幌選抜出場 | |||||||||||||
| 日刊スポーツ春季大会 | 3回戦進出 | ||||||||||||
| 報知新聞杯 | 優 勝 | ||||||||||||
| 西区夏季大会 | 第三位 | ||||||||||||
| 昭和58年 | この年は、富山を中心としかなりの小粒のチームとまり戦力ダウンは | ・ | 東京ディズニーランドオープン | ||||||||||
| (1983) | ・ | おしんブーム | |||||||||||
| 余儀なくされたが、総合力とチームワークで各大会において優秀な成 | ・ | 福本選手(阪急)が通算939 | |||||||||||
| 盗塁達成 | |||||||||||||
| 績を残す。 | ・ | 大韓航空機撃墜事件 | |||||||||||
| 札幌選手権西区予選 | 準優勝 | ||||||||||||
| 札幌選手権大会 | 3回戦進出 | ||||||||||||
| 日刊大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| 全道学童札幌予選大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 読売大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| トヨペット杯 | 準優勝 | ||||||||||||
| スポーツ少年団 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| 昭和59年 | 前年度に続き小粒のチームであったが左腕開発、西島のバッテリーで | ・ | ロサンゼルス五輪 | ||||||||||
| (1984) | 柔道で山下泰裕が優勝 | ||||||||||||
| 全員6年生でチームを編成、好成績を残す。 | ・ | グリコ・森永事件 | |||||||||||
| ・ | ブーマー選手(阪急)が外国人 | ||||||||||||
| 札幌選手権西区予選 | 優 勝 | として初の3冠王 | |||||||||||
| ロッテ杯 | 優 勝 | ||||||||||||
| 札幌・小樽交流大会 | 札幌地区優勝 | ||||||||||||
| 昭和60年 | この年は大巾に戦力ダウンであったが持ち前のねばりむなしく各大会 | ・ | 阪神創設50年目で初の日本一に | ||||||||||
| (1985) | ・ | ファミコンブーム | |||||||||||
| に涙をのんだ。来年に希望を燃やし全員練習にあけくれる。 | ・ | 日航機墜落事故 | |||||||||||
| 昭和61年 | 前年に続き各大会において初戦で涙をのみ苦しい戦いが続いたが、全 | ・ | ダイアナ妃来日 | ||||||||||
| (1986) | ・ | スペースシャトル・チャレンジ | |||||||||||
| 員野球で試合にいどんだ。来期のチームの新人戦の活躍が目立った年 | ャー打ち上げ72秒後に爆発 | ||||||||||||
| ・ | たけし軍団「フライデー」編集 | ||||||||||||
| であった。 | 部乱入事件 | ||||||||||||
| 毎日ジュニア大会 | 優 勝 | ||||||||||||
| 札幌選抜西区予選 | 準優勝 | ||||||||||||
| 西区新人戦 | 準優勝 | ||||||||||||
| 日刊大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| 昭和62年 | 中心的エース不在の中でのチームであったが守田、北川、福島らの頑 | ・ | 石原裕次郎死去(52歳) | ||||||||||
| (1987) | ・ | 竹下内閣発足 | |||||||||||
| 張りによって強いメッツとしてのシーズンであった。 | |||||||||||||
| 札幌選抜大会 | 準々決勝進出 | ||||||||||||
| 西区夏季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| ライオンズ杯 | 準優勝 | ||||||||||||
| 小田杯 | 準優勝 | ||||||||||||
| スポーツ少年団 | 4回戦進出 | ||||||||||||
| 日刊大会 | 3回戦進出 | ||||||||||||
| 昭和63年 | 野球への意気込み、最後まで試合を捨てないチームカラーを創り出した | ・ | 青函トンネル開業 | ||||||||||
| (1988) | ・ | リクルート事件 | |||||||||||
| 年でした。 | ・ | ソウル五輪開幕 | |||||||||||
| ・ | 西武ライオンズ3年連続日本一 | ||||||||||||
| 平成元年 | 滝沢(康)、小倉、野越(栄)らの6年生8人で強いチームを目指す。 | ・ | 昭和天皇崩御(1月7日) | ||||||||||
| (1989) | ・ | 消費税実施 | |||||||||||
| 手稲地区子供野球大会 | 優 勝 | ・ | 「ベルリンの壁」撤廃 | ||||||||||
| 西区新人戦 | 第三位 | ||||||||||||
| 平成2年 | 前年に引き続いて、近藤、今永、松原らの活躍で各大会で善戦する。 | ・ | 「ちびまる子ちゃん」ブーム | ||||||||||
| (1990) | ・ | ドイツが国家統一 | |||||||||||
| 手稲区 春季大会 | 準優勝 | ・ | 「バブル」がはじける | ||||||||||
| 勝球旗兼札幌選手権手稲区予選 | 第三位 | ||||||||||||
| 平成3年 | 少ない部員でも元気よく戦い、来季を目指し練習に明け暮れる。 | ・ | 多国籍軍がイラクに進攻 | ||||||||||
| (1991) | ・ | 横綱千代の富士引退 | |||||||||||
| ・ | 宮沢内閣発足 | ||||||||||||
| ・ | ソ連消滅 | ||||||||||||
| 平成4年 | 宇佐、須永、中田を中心に各大会で善戦する。 | ・ | アルベールビル冬季五輪 | ||||||||||
| (1992) | (伊藤みどり銀、橋本聖子銅) | ||||||||||||
| ・ | バルセロナ五輪 | ||||||||||||
| (岩崎恭子金、有森裕子銀) | |||||||||||||
| ・ | 毛利衛氏宇宙へ | ||||||||||||
| 平成5年 | 河守、小田島、酒井を中心に各大会に善戦する。 | ・ | 曙が横綱に | ||||||||||
| (1993) | ・ | Jリーグ開幕 | |||||||||||
| ・ | 細川内閣発足 | ||||||||||||
| (自民党一党支配崩壊) | |||||||||||||
| ・ | 北海道南西沖地震 | ||||||||||||
| 平成6年 | 高畠、重成、大友、造田らの頑張りで、明日への希望を燃やした。 | ・ | リレハンメル冬季五輪 | ||||||||||
| (1994) | (スキー複合金) | ||||||||||||
| 北大生協杯 | 第三位 | ・ | 巨人槙原投手対広島戦で完全試 | ||||||||||
| 合(16年ぶり15人目) | |||||||||||||
| リトルジュニアリーグ戦 | 優 勝 | ・ | 村山内閣発足 | ||||||||||
| (13戦全勝) | ・ | イチロー最多安打(210本) | |||||||||||
| ・ | 貴乃花横綱に | ||||||||||||
| 平成7年 | 6年生が不在にもかかわらず、各大会で善戦した。この年の新人戦 | ・ | 阪神大震災 | ||||||||||
| (1995) | ・ | 地下鉄サリン事件 | |||||||||||
| の活躍がめざましく(全道大会にも進出)、来季が楽しみ。 | ・ | 野茂投手大リーグデビュー | |||||||||||
| 手稲区ジュニア大会 | 優 勝 | ||||||||||||
| (北海道少年軟式野球連盟手稲区予選) | |||||||||||||
| 手稲区新人戦 | 優 勝 | ||||||||||||
| 全道少年野球石狩大会(ジュニア) | 優 勝 | ||||||||||||
| 平成8年 | 期待どおり、小塚(大)キャプテンを中心に公平、増田バッテリーの | ・ | 将棋の羽生名人7冠独占 | ||||||||||
| (1996) | ・ | 俳優渥美清(寅さん)死去 | |||||||||||
| 活躍もあり手稲山口メッツの強さを見せつけた年でした。 | ・ | 橋本内閣発足 | |||||||||||
| ・ | ペルー日本大使公邸占拠事件 | ||||||||||||
| 札幌選抜大会 | ベスト8進出 | ||||||||||||
| 手稲区 春季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 全道少年野球石狩大会 | 優 勝 | ||||||||||||
| 勝球旗兼札幌選手権手稲区予選 | 優 勝 | ||||||||||||
| 手稲区ジュニア大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| (北海道少年軟式野球連盟手稲区予選) | |||||||||||||
| 手稲区 夏季大会 | 第三位 | ||||||||||||
| 手稲区 秋季大会 | 優 勝 | ||||||||||||
| 手稲区新人大会 | 優 勝 | ||||||||||||
| 札幌市長杯 | 優 勝 | ||||||||||||
| スポーツ少年団ジュニア大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 平成9年 | 5年生ピッチャー小塚(正)を6年生4人組(花田(優)、寺崎、 | ・ | W杯サッカー初出場決める | ||||||||||
| (1997) | ・ | 拓銀破たん、山一証券廃業 | |||||||||||
| 秋保、山田)が盛り立て好成績を残す。 | ・ | ダイアナ事故死 | |||||||||||
| ・ | ポケモンブーム | ||||||||||||
| 勝球旗兼札幌選手権手稲区予選 | 優 勝 | ||||||||||||
| 青峰旗 | 優 勝 | ||||||||||||
| 手稲区 夏季大会 | 第三位 | ||||||||||||
| 信友旗 | 準優勝 | ||||||||||||
| 日刊旗争奪春季大会 | ベスト8進出 | ||||||||||||
| 開拓神社杯 | 準優勝 | ||||||||||||
| 平成10年 | 準優勝3回と各大会で優秀な成績を収めた一年であった。 | ・ | 長野オリンピック開催 | ||||||||||
| (1998) | 反面、優勝旗にもう少しで届くという場面もあったが、肝心なとこ | ジャンプ・スケート・モーグル | |||||||||||
| ろでミスがでて勝利を逃したことも多く、残念な一年でもあった。 | 等の金メダルに沸く | ||||||||||||
| ・ | W杯サッカー出場 | ||||||||||||
| 予選3敗の成績に終わる | |||||||||||||
| ・ | 小渕内閣誕生 | ||||||||||||
| 全道少年野球札幌支部決勝トーナメント進出 | ・ | 米大リーグで1シーズン最多本 | |||||||||||
| 塁打記録更新 | |||||||||||||
| 手稲区 夏季大会 | 準優勝 | マグワイア 70本 | |||||||||||
| ソーサ 66本 | |||||||||||||
| 開拓神社杯 | 準優勝 | ・ | 横浜ベイスターズ38年ぶりのセ・リ | ||||||||||
| ーグ優勝 | |||||||||||||
| 札幌市長杯ブロック予選 | 第三位 | ||||||||||||
| 手稲区 秋季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 平成11年 | 初めての公式戦(学童)で宿敵手稲鉄北イーグルスを延長8回の末に | ・ | 「だんご3兄弟」がシングルNO1 | ||||||||||
| (1999) | 勝ったときは、「今年はいける!」と感じたものでしたが、その後は | 宇多田ヒカル売り上げ新記録 | |||||||||||
| なかなか勝ち進むことはできませんでした。 | ・ | 巨人上原新人では19年ぶり20勝 | |||||||||||
| 西武松坂高卒ルーキーとしては | |||||||||||||
| 6年生にとっては最後の大会となった手稲区秋季大会において、一回戦 | 45年ぶり最多勝 | ||||||||||||
| で暁星スターズ、二回戦では前田北ジャガースに逆転サヨナラ勝ち、 | 「雑草魂」「リベンジ」が流行語に | ||||||||||||
| 続く準決勝では北発寒エンジェルスに1−0という最後まで緊迫した | ・ | 北海道記録的な猛暑 | |||||||||||
| 試合を勝ち抜き初めて決勝に進出しました。 | ・ | 「マイカル小樽」誕生 | |||||||||||
| ・ | コンピューター2000年問題が話題 | ||||||||||||
| 決勝では初回、守備位置につく時に一人一人の名前をアナウンスされて | に | ||||||||||||
| ベンチから選手が飛び出していきましたが、その姿を見てほんとうに感激 | |||||||||||||
| しました。 | |||||||||||||
| 残念ながら、結果は星置スターズに完敗でしたが、最後の最後に6年生が | |||||||||||||
| 意地をみせてくれた一年でした。 | |||||||||||||
| 秋季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 信友旗 | 第三位 | ||||||||||||
| 平成12年 | 宇野、岩井を中心に各大会で善戦しましたが、残念ながら上位に進出 | ・ | イチロー大リーグへ | ||||||||||
| (2000) | することはできませんでした。 | ・ | シドニー五輪 高橋尚子・田村 | ||||||||||
| 亮子ら金メダル | |||||||||||||
| ・ | 日本シリーズON決戦 | ||||||||||||
| ・ | 森内閣発足、小渕前首相死去 | ||||||||||||
| ・ | 佐々木投手が大リーグで新人王 | ||||||||||||
| 平成13年 | シーズン前には、監督が倒れ、また、部員も4名まで減少しチームの | ・ | 米国で同時テロ | ||||||||||
| (2001) | 存続そのものが危ぶまれました。 | ・ | イチロー大リーグでMVP | ||||||||||
| ・ | 第87代首相に小泉純一郎 | ||||||||||||
| メッツOBの五十嵐・米沼の子供の入団を皮切りに部員数も増え、よ | ・ | 札幌ドームオープン | |||||||||||
| うやく試合ができるようになりましたが、キャッチボールも満足にで | ・ | 雅子さまが女子出産 | |||||||||||
| きない選手が多く、試合は惨憺たるものでした。 | ・ | 若松ヤクルトが日本一 | |||||||||||
| そういう状態のため、ほんとうに基本的で退屈な練習しかできませんでした | |||||||||||||
| が、6年生3人組(杉本・飯田・佐藤)が不満も言わず最後までやり | |||||||||||||
| とげてくれたことに感謝しております。(ちなみに、3人とも中学でも野球を続 | |||||||||||||
| けています) | |||||||||||||
| 平成14年 | 6年生不在の年、壁は厚かった一年でした。 | ・ | 日韓共催でサッカーW杯、日本 | ||||||||||
| (2002) | 決勝トーナメントに進む | ||||||||||||
| しかしながら、葵杯において初めてトーナメントで2勝することがで | ・ | 原巨人、西武に4連勝し日本一へ | |||||||||||
| き、来年への希望をつなげました。 | ・ | 巨人松井大リーグへ | |||||||||||
| ・ | 北朝鮮に拉致の5人帰国 | ||||||||||||
| ・ | プロ野球日本ハム札幌移転決まる | ||||||||||||
| 葵杯 | 第三位 | ||||||||||||
| 平成15年 | 公式戦が始まってからの快進撃は、本当にすごかった。 | ・ | 阪神18年ぶりセ・リーグ制覇 | ||||||||||
| (2003) | 荒川が投げ、栄木が打つ(「2アウト男」のキャッチフレーズもできました)、 | ・ | 北海道日本ハム誕生・新庄入団 | ||||||||||
| 早坂、石井、阿部、小岡、土田もそれぞれの役割を果たし、さらに、前田北 | ・ | 松井がWシリーズ出場 | |||||||||||
| ジャガーズから加入した中川・浦家の活躍もありました。 | ・ | 巨人の原監督退任 | |||||||||||
| ・ | 貴乃花引退 | ||||||||||||
| 後半戦は、追いつくが逆転できない、良い試合をするが勝利に結びつかな | ・ | イラク戦争開戦 | |||||||||||
| いもどかしもありましたが、十分楽しむことができた一年でした。 | |||||||||||||
| この6年生がいたからこそ、メッツは存続することができました。 | |||||||||||||
| 手稲区美来旗(リトルジュニア)においては、予選リーグ10勝1敗の好成 | |||||||||||||
| 績で決勝リーグ進出。惜しくも準優勝に終わりましたが、来年につながる | |||||||||||||
| ことまちがいなしです。 | |||||||||||||
| 学童 | ブロック優勝 | ||||||||||||
| 手稲区春季大会 | 第三位 | ||||||||||||
| 手稲区勝球旗 | 第三位 | ||||||||||||
| 手稲区美来旗 | 準優勝 | ||||||||||||
| 平成16年 | メッツ史上初の女子キャプテンになった米沼(春)のほか、原・湯浅・浦家 | ・ | 北海道日本ハム第三位 | ||||||||||
| (2004) | が中心となり、スタートダッシュに成功。 | ・ | 駒大苫小牧甲子園初優勝 | ||||||||||
| ホクレン旗石狩支部予選・札幌選手権に久しぶりに出場することができま | ・ | イチロー 262安打大リーグ記録 | |||||||||||
| した。この経験は、後輩にきっと引継がれ良い結果に結びつくはず! | ・ | 伊東西武が日本一 | |||||||||||
| 6年生最後の試合となった岡田杯もすごかった。6点差を追いつき、促進 | ・ | アテネ五輪で金メダルラッシュ | |||||||||||
| 2回、負けはしましたが良い試合でした。 | ・ | 「気合だぁ〜」「ハッスル、ハッスル」 | |||||||||||
| 「残念・・・斬り」 | |||||||||||||
| ジュニアでは、来年の札幌選抜の出場権を獲得。また、スポーツ少年団 | ・ | オリックス・近鉄合併 | |||||||||||
| では、ベスト8進出。来年は、楽しみな年になりそうです。 | 楽天プロ野球参入 | ||||||||||||
| ダイエーがソフトバンクホークスへ | |||||||||||||
| 1・2年生が続々入団し、チームに活気が出ました。 | |||||||||||||
| 手稲区春季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| (ホクレン旗石狩支部予選出場、一回戦敗退) | |||||||||||||
| 手稲区勝球旗 | 準優勝 | ||||||||||||
| (札幌選手権出場、一回戦敗退) | |||||||||||||
| 手稲区秋季大会 | 第三位 | ||||||||||||
| 手稲区選抜予選 | 第三位 | ||||||||||||
| (来年の選抜大会出場権獲得) | |||||||||||||
| スポーツ少年団秋季大会 | ベスト8(参加99チーム) | ||||||||||||
| 平成17年 | キャプテンのジュンとユウキを中心に、続いて入団したタケシ・カズヤ・ | ・ | ロッテ31年ぶり日本一 | ||||||||||
| (2005) | セイジ・ナオヤ・ワタル、そして最後にカズキが加わり、充実したメンバー | ・ | 駒大苫小牧夏の甲子園連覇 | ||||||||||
| で戦うことができました。 | ・ | 衆議院で自民圧勝 | |||||||||||
| 手稲区春季大会では不運な敗戦でしたが、それをバネにして、つくし旗・ | ・ | ディープインパクト無敗の三冠 | |||||||||||
| 勝球旗・GA旗で三大会連続優勝という快挙を成し遂げ、メッツ史に残る | ・ | 愛知万博開催 | |||||||||||
| 記録を残してくれました。 | ・ | 灯油価格高騰 | |||||||||||
| ジュニア以下では、なかなか勝てませんでしたが、来期に向け練習ある | |||||||||||||
| のみです。 | |||||||||||||
| 札幌選抜大会出場(一回戦敗退) | |||||||||||||
| 手稲区つくし旗 | 優勝 | ||||||||||||
| 手稲区勝球旗 | 優勝 | ||||||||||||
| (札幌選手権出場、一回戦敗退) | |||||||||||||
| 手稲区GA旗 | 優勝 | ||||||||||||
| (ファイターズカップ出場、一回戦敗退) | |||||||||||||
| 手稲区秋季大会 | 準優勝 | ||||||||||||
| 平成18年 | 平成13年と同じく、6年生3名(中川、深澤、高桑)で5年生がいない | ・ | 北海道日本ハム44年ぶり日本一 | ||||||||||
| (2006) | 状態のシーズンは非常に厳しい戦いでした。 | ・ | WBCで王ジャパンが世界一 | ||||||||||
| やはり、学年1つの差は大きいですね。 | ・ | 駒苫夏の甲子園3年連続決勝へ | |||||||||||
| しかしながら、今後3年間の基礎はできたはず。平成13年の時の6 | ・ | 松坂60億でレッドソックスへ | |||||||||||
| 年生と同じく、今年の6年生も今後の礎になってくれたと思います。 | ・ | トリノ五輪フィギュアで荒川が金 | |||||||||||
| よく頑張ってくれました。(感謝!!) | ・ | 皇室に41年ぶり男子 | |||||||||||
| 今の4年生以下が、きっと花開く時がくると信じております。 | ・ | 安倍政権誕生 | |||||||||||
| ・ | サッカーW杯イタリア優勝 | ||||||||||||
| ・ | ディープインパクト7冠で引退 | ||||||||||||